新プラトン主義(1) ー プラトン哲学と「一者」

哲学

はじめに

まーた面白くもなさそうなこと書いてやがるよ、と思いました?こんな趣味全開のブログに大衆的面白さを求められても困るというもの。
今日は僕が卒業論文で書いた新プラトン主義について書いていきたいと思います。

新プラトン主義の起源

新プラトン主義は、その名の通りプラトンの思想、特にイデア論を徹底させ、一者という概念によって世界を明らかにしようとした思想主義の名称です。
始祖は古代ギリシアの哲学者プロティノス、あるいはその師であるアンモニオスとされています。
この時代での新プラトン主義について軽く触れておきましょう。
プラトンのイデア論における二元論を克服し、万物は「一者」から「流出」したものを指すと説いたのが超ざっくりと表現した「新プラトン主義」です。
この思想を語るうえでは「一者」という概念の理解が必要不可欠です。

一者

一者とはつまり、プラトン哲学に置き換えると「善のイデア」と言えます。そもそもイデアという言葉の説明からしなくてはならないでしょうね。例えば、美しい絵画があるとしましょう。この美しい絵画(レオナルドの『最後の晩餐』でも、ボッティチェッリの『プリマヴェーラ』でも構いません)を我々が見ることによって「なんと美しい絵画なのだろう」と感じることができるのは、件の絵画が美のイデアをメテクシス(分有)しているからに他なりません。
つまり、イデアとは美しさの根拠であり、美しさそのもの、というわけです。
イデアはイデア界と呼ばれる場所に存在しており、例えば美しさを分有している絵画は、そのイデアを模倣しているにすぎません。
そして、そのイデア界の中で最高の存在とされているのがプラトンの言う「善のイデア」なのです。
善のイデアはすべてのイデアをイデアたらしめているイデアであり、すべてのイデアはこの「善のイデア」によって存在を許されていることになります。
では、一者とは何なのかという話ですが、プラトンの哲学はよく「二元論」と言われますよね。なぜプラトンの哲学が二元論であるのか分かりますか?
それはプラトンの思想がイデア界に本質を置いてしまったがゆえに、万物が「イデア」と「その模倣」に分かれてしまったからです。イデアは絶対的な正しさであり、その模倣は所詮模倣であるから、正しさたることはできない、という構図が出来上がってしまったわけですね。(まあ厳密には違いますが、厳密に定義しても誰もわからないのでこのくらいでいいでしょう)
イデアが実体で、イデアの模倣はどこまで行っても影なわけです。
新プラトン主義では「一者」の導入によって、この二元論から脱却を図ります。
一者は新プラトン主義における最上位です。この言葉が今後非常に重要な要素になってきます。

力尽きたので

第一回はここまでにします。プラトンのイデア論、善のイデア、そして新プラトン主義における「一者」との関係について書きました。
次回は本格的に新プラトン主義についてお話していければと思います。

コメント