杜甫ー『貧交行』によせて

漢籍

前回のポストではめちゃめちゃ偏った政治思想を垂れ流したわけですが、そんなことばっかりしていてはブログの読者が増えないどころか、内容的に会社をクビになっても文句は言えません。
まあそうは思っていても僕が学者ではない以上、思想はこういうところから発信する必要があるのでリスクは理解しつつも書きますが。
とはいえ、たまには別のこともいいかなと、今回は盛唐の詩人で詩聖と謳われた杜甫の『貧交行』という作品によせて、ということで記事を書いていきたいと思います。
杜甫、字は子美。日本でも非常に有名な詩人のひとりで、中学校までの教育を受けている人ならば誰もが必ず読んだことのあるであろう『春望』の作者でもあります。
同時代には李白、孟浩然などの有名な詩人も生きていました。彼のしばらく後には白居易も現れます。

以下、杜甫の『貧交行』全文と、僕の翻訳です。
語ごとの註は気が向けば後日書き足します。

貧交行 - 杜甫

白文
 翻手作雲覆手雨
 紛紛輕薄何須數
 君不見管鮑貧時交
 此道今人棄如土

書き下し文
 手を翻せば雲と作り、手を覆せば雨となる
 紛紛たる軽薄、何ぞ數ふるを用ゐん
 君見ずや、管鮑貧時の交はりを
 此の道、今人棄てて土の如し

現代語訳
 手を上に向ければ雲となり、手を下に向ければ雨となる
 軽薄な者たちが入り乱れている 数える必要もないほどに多く
 君よ、見たまえ 管仲と鮑叔との貧しかった時の交わりを
 いまの人は、その道を土くれのように棄ててしまっているではないか

この詩の形式七言古詩と呼ばれるものです。
杜甫がこの詩を通して何を伝えたかったのか、現代語を読むだけで分かるというものですね。
無粋であるとは思いつつも、この詩の解釈を書いていきましょう。

詩の解釈を語る前に、杜甫の作風について触れておく必要があります。
杜甫はもともと仕官して自らの理想の政治を行うことが夢だったためか、社会の状況を詠った詩が多いです。この特徴は『春望』からも読み取れるでしょう。
また、『月夜』『絶句』のように悲哀を題材とする詩も得意としています。
ここで今回の『貧交行』を見てみると、どちらかといえば社会の状況を詠った詩ということになるかと思います。けれど、この詩で杜甫が詠いたかった本質は、社会ではなく人間の心のありようだと僕は考えています。

そんなこんなで解釈を垂れ流していきましょう。僕が大学時代に国語を教えていた塾生がみると懐かしい気分になるかもしれませんね。当時からやたら漢文になると張り切る講師だったので。
もっとも思い出したくもないかもですが(笑)

まず一句目と二句目です。

手を翻せば雲となり、手を覆せば雨となる
紛紛たる軽薄、何ぞ數ふるを用ゐん

この部分は特に解釈することはなく、文字のままにとればいいかと思います。
個人的にはこの部分はなるべく現代語に直さずに味を楽しんでほしいところです。
手を翻すと雲のように、手を覆せば雨のように、まるでころころと変化していく人間の心を詠んでいるのでしょう。
そしてそれについて杜甫は言うわけです、軽薄であると。そしてそのような連中がいまの世には入り乱れているのだと。
自分の理想をもって政を志した杜甫らしい嘆きではありませんか。

 君見ずや、管鮑貧時の交はりを 

そして杜甫はここで読者である我々に語り掛けるわけです。
管仲と鮑叔の貧しかったときの交わりを見よ、と。
この個所を語るうえで、管仲と鮑叔に関する知識は欠かせません。
管仲、そして鮑叔はともに春秋戦国時代の斉の政治家です。紀元前600年ごろの人なので今からだと2600年前ですね。紀元の起源となったキリストも生まれてません。まあだからこそB.C.(Before Christ)なわけですが。
まあその時代の政治家なわけですが、二人には以下のようなエピソードがあります。Wikipediaから引用しましょう。

「昔、鮑叔と一緒に商売をして、利益を分ける際に私が余分に取ったが、鮑叔は私を欲張りだと非難しなかった。私が貧乏なのを知っていたからだ。また、彼の名を成さしめようとした事が逆に彼を窮地に陥れる結果となったが、彼は私を愚か者呼ばわりしなかった。物事にはうまく行く場合とそうでない場合があるのを心得ていたからだ。私は幾度か仕官して結果を出せず、何度もお払い箱となったが彼は私を無能呼ばわりしなかった。私が時節に恵まれていないことを察していたからだ。私は戦に出る度に逃げ帰ってきたが、彼は臆病呼ばわりしなかった。私には年老いた母が居る事を知っていたからだ。公子糾が敗れた時、召忽は殉死したが私は囚われて辱めを受けた。だが鮑叔は破廉恥呼ばわりしなかった。私が小さな節義に恥じず、天下に功名を表せなかった事の方を恥としている事を理解していてくれたからだ。 私を生んだのは父母だが、父母以上に私を理解してくれる者は鮑叔である」

管仲 – Wikipedia (https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%A1%E4%BB%B2)

つまり、管仲と鮑叔は固い絆で結ばれた友人同士だったというわけです。
なぜここで管仲と鮑叔の話が出てきたのか、もうお分かりでしょう。管鮑の交わりと杜甫の生きた時代の人間たちとの交わりを対比し、そして非難しているからに決まっています。

 此の道、今人棄てて土の如し 

いまの人間たちは、彼らのような道を土くれのように棄ててしまっている。杜甫はそう嘆くわけです。いえ、嘆きという表現ではいささか不足でしょう。嘆き、そして怒っている。
管仲と鮑叔が示した人との交わり方というのは間違いなく人間が目指すべき道でしょう。しかし、当時の人間たちは自分の利益のために友を裏切り、昨日の態度さえも今日になったら反対のように変わっているという状況。杜甫はそういった人間たちの軽薄さに対して、管仲と鮑叔の話を引き合いにして彼らを見てみよ、今のお前たちはどれほど落ちぶれているのか。そう伝えたかったに違いありません。
政を志すほどの強い信念のあった杜甫です。その怒りと悲しみがどれほどのものであったかははかり知れません。

さて、ここまでは詩の解釈をしてきました。しかし、読んでみてどうでしょう。
これは杜甫の時代だけの話でしょうか。もしそう思えるのであれば、あなたは杜甫が嘆き怒るに値する人物です。どこまでも矮小な人間に成り下がる前に杜甫の怒りに耳を傾けてください。
この詩に詠われている状況は、現代社会にも極めて正確に当てはまるというえます。
いえ、現代社会ではより当てはまるのではないでしょうか。前回のポストを見た人はピンときたかもしれませんが、特に現代日本は多数決の国です。小学校、中学校と下らない集団心理を刷り込まれるわけですね。
義務教育には学問的教育の基礎としての価値は認めますが、それ以外はすべてがダメです。なに一つまともではない、どれどころか歪でさえある。
まあそのあたりについて話し始めると余白が足りなくなるのでまた今度。
とにかく、多数が強い日本なわけです。また現代人は集団心理に流されやすい。どこまでも集団の一員であることに固執しているからです。そんな状態で友人が集団から外れたとして、そして集団から攻撃を受けたとして、どれほどの人間が友人に手を差し伸べるでしょうか。
圧倒的大多数が友人を見捨てて集団に迎合する道を選択するでしょう。

杜甫の時代から2600年たったいまでも人間の本質は杜甫の怒りと嘆きをそのまま具現化させています。こんなことでいいんでしょうかね。
きっとこの1000年がダメなら次の1000年もダメでしょう。人間は本質的に安定を選びますから、進んで友人に手を差し伸べたくない気持ちも分かります。
でもね、昨日、友であったなら。たかが圧倒的大多数の意見程度で見捨てていいものではないと思いませんか。
この1000年で杜甫の嘆きと怒りを収められるような、そんな世界を作っていくべきだと、僕はそう思います。

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